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2009年 10月 22日
是枝監督の「空気人形」を観た。 心を持ってしまった人形の話。 自分はほかの何かに取って代わられる存在じゃないのか? 人形にとって心を持つということは、 からっぽで切ないものだった。 人形の周りにいる人たちもみな、 やり場のない空しさを抱えて生きている。 時に欲を発散してそれをやりすごす様はなんだか滑稽で哀しい。 目を背けたくなる生々しいものだけれど、 これが人間の現実に生きる姿だろう。 やがて恋をした人形は、 だれかにからっぽを満たしてもらう幸せを知り、 自分もだれかを満たしたいと願う。 そして人形は彼の抱えるからっぽを埋めようとするのだが。。。 だれかのからっぽを何とかしたくても、 だれかにからっぽを何とかしてもらいたくても、 なかなかうまくはゆかない。 それでも。 他者とゆるやかに関わり合うこの世界で、 それと気付くことなく、 だれかのからっぽを自分が埋めているかもしれないということは、 小さいけれど確かな希望であり、 生きる意味なのかもしれない。 この作品には東京のあちこちの景色がちりばめられている。 隅田川沿いの下町と高層ビルの不思議な調和、 浅草からお台場にかけて川を走る水上バス、 おしゃれなブティックが立ち並ぶ表参道に、 雑多なネオンがあざやかな秋葉原。 どこか懐かしい東京の街並みを、 人形もきれいなものに心躍らせたり、 好きな人のことを思っておしゃれをしてわくわくしたり、 どうしようもないからっぽを抱えたりしながら歩く。。。 そんな姿が淡くやわらかな色彩で描かれていたのもまた、 心に残った作品だった。 #
by catcans
| 2009-10-22 00:22
| 日々雑感
2009年 10月 19日
フライパンのテフロンがすっかり取れてしまった。
形が壊れないうちはと使ってきたけれど、 表面がフライパンに残ったお好み焼き、 はがれないお肉が細切れになった炒め物。。 ちょっと残念な姿のごはんに、 最近さすがに切なくなってきた。 そんなわけで。 どうせなら長く使えるものをと思って、 週末、合羽橋に探しに出かけた。 中華鍋は重い。 そんな先入観からこれまで持つのをためらってきたのだけど、 気になって手にとってみると、 意外や意外、ずいぶん軽くて手になじむのだ。 いろんな大きさのものをぶんぶん振り回してみた。 お店の人によれば薄くて軽くて楽なのがよいらしく、 30センチの大きさで一番薄いものに決めた。 家に帰って、 表面のニスを焼き切ってさらに焼くこと1時間半。 一度洗ってくず野菜を炒めて油ならしをして、 ようやく準備完了だ。 以来一日一回は中華鍋を使っている。 炒め物の野菜はしゃっきり仕上がってジューシー。 もっと早く買ってもよかったかも。 今日は麻婆なすを作った。 今このアパートで一番おいしいものを食べてるのは、 私に間違いないよと確信するくらい、 とろっとしたなすが最高だった。 でも。油の摂取もぐぐっと増えたのも確か。 とりあえずプーアール茶をがぶ飲み。 脂肪の吸収はなんとか抑えたいところ。 #
by catcans
| 2009-10-19 22:42
| 料理
2009年 10月 15日
最近よくパンを焼く。 こうばしい小麦の香りがオーブンからただよってくる。 しあわせな時間だ。 今日は本を読み読み、 レーズンから育てた酵母を使ってチャレンジ。 イーストと違ってマイペースな子。 待てども待てどもふくらまなかったり、 目を離したすきにしゅるしゅるとしぼんでしまったり。 三度目の正直とやら。 もちもちぱりっと仕上がった。 してやったりのカンパーニュに ちょっとだけ得意げ。 焼き上げながらヴィヨンの妻を手に取る。 ずっと昔、良さがほとんど分からず、 投げ出してしまった作品だ。 強く生き抜こうとする妻と対照的な夫の描写は、 からりと乾いていて、どこかユーモアすら感じるものだった。 ふわりと軽やかな空気がなんだかしっくりきた。 他の短編もまた、読み返してみよう。 #
by catcans
| 2009-10-15 23:15
| 日々雑感
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